2013年8月11日日曜日

徳永ビルと車庫棟

防火帯建築のほとんどは関内の旧日本人居住地か、関外に集中しているのですが、なかには関内の旧外国人居留地エリアに建てられたものもあります。

山下町に建つ徳永ビルもそのひとつ。建築主の徳永恵三郎は関東大震災直後の大正12年10月に元町で建設請負業を創業し、元町地区の洋風店舗や住宅の建築を手がけ民間業者として震災復興を支えてきました。

昭和20年3月に現在の徳永ビルの建つ敷地に移転し、戦後は山手の外国人専用住宅や洋館建築、あるいは在日米軍の外国人向け住宅なども手がけてきました。

昭和31年、神奈川県住宅公社との併存住宅として5階建てのビルを建てます。施工は本牧元町の関工務店。戦前の外国人向けアパート「ヘルムハウス」(平成12年解体)も請け負った実績のある指折りの施工業者です。徳永ビルの下層階には会社事務所が入り、当初は外国人向けアパートとしてつくられていました。その後、中庭側に建てられた車庫棟との間に渡されたブリッジが印象的。

このエリアは元町や山下公園、中華街が徒歩圏ということもあり、横浜のなかでも人気の住宅地のひとつ。昭和62年までは近くに同潤会山下町アパートメントも立地していました。現在の徳永ビルにはライブハウスやカフェも入居し、住居部分に入居するランドスケープデザイン事務所は以前、関内外OPEN!2にて、スタジオ公開参加したこともありました。車庫棟にはレンタルサイクル屋や雑貨屋、アートギャラリーなども入居しています。

建物の歴史もおもしろいですが、今がいちばんおもしろい建物のひとつですね。

(参考:徳永リアルエステート会社概要、関内外OPEN!2サイトほか)

竣工当時の外観。当時は1・2階が会社オフィスとして使われていたようだ。(融資建築のアルバム(横浜市建築助成公社)より)

現在は1階は改装されてカフェやライブハウスなどが入居し、通りの表情をつくりだしている。建物右手は中華街の蘇州小路。
ビル背面の中庭。左手の徳永ビル側からの増築、右手の車庫棟との間にわたされたブリッジなどが印象的。中庭に向き合った開放的な階段室のデザインは、閉鎖しがちな現代の集合住宅のそれとは真逆のアプローチで清々しい。奥にはレンタサイクルショップが入居し、その右手には雑貨屋、階段をのぼるとアートギャラリーやデッキスペースなど魅力がいっぱい。


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